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貧しい家計を支える母の言葉を受けて、柔道を続けてきたことが、自身の人生の道を拓いた。

――日本とインドネシアの柔道の違いは?

こちらは体力的な部分が弱いと感じています。食事の問題もありますね。やはり宗教が絡んでくるんですよ。ここは95%ぐらいがイスラム教で、イスラムは豚肉を食べてはいけない。牛肉とか鶏肉とかヤギはいいんですけど、豚肉はダメ。逆にバリはヒンドゥー教ですから、牛肉はダメで豚肉はいい。でも、裕福じゃないですから、一般の人たちは1か月に1、2回肉を食べられるかどうかくらいの生活をしています。スポーツ選手に必要なたんぱく質が少ないですね。身体の大きい人も少ないです。

――話は変わりますけれども。先生はバリ島に仙石インターナショナル柔道ホールを設立されたわけですが、作るのは大変だったんじゃないですか?

普通であれば、お金を渡して頼んでも持ち逃げされることが多いんですよ、こちらでは。ひとつの博打みたいなもんです。心のなかでは、持ち逃げされたらどうしよう、本当にできるだろうかと不安でした。でも、43年前に教えた弟子たちが各州にいて、彼らが全部やってくれたんですよね。だから、このように素晴らしい道場を作っていただいたというのは本当に感謝、感謝ですね。

――ところで、福島出身の仙石先生がなぜ警視庁に。

いま思えばすごくラッキーなんですね。話すと長くなるんですけど、私は家が貧しかったから中学を出たらすぐに少年自衛隊に入って家計を助けたいと思っていたんですね。ただお袋に話したら「これからは学歴の時代だから、なんとか頑張るから高校だけは行きなさい」と言われて。私は7人兄弟の末っ子だったんですが、母は毎日重い荷物を背負って行商をしていて、その苦しみや悲しみを知っていました。でも、幼い頃からお袋の言うことは絶対でしたから、高校を受験して。「自衛官になるんだったら、柔道をやれ」とお袋に言われて柔道部に入りました。でも、受身のとれないうちから投げられることもありました。それで家に帰って「あんな野蛮なのはやらない」と言ったら、「一度やると言ったら最後までやるのが男だぞ」と言われて。それで私も反骨心がありましたから、「やってやろうじゃないか」と、それで、柔道を続けたのがきっかけでいまの自分がいるんですよね。
高校時代、会津大会で優勝したり、東北6県対抗大会で優秀選手賞をもらったりして、大学とか企業からの勧誘もあったんですけど、お金をもらいながら柔道ができるのはどこかと考えて、警察官になろうと。福島県警からも勧誘が来ましたけど、華の東京に憧れて、警視庁の試験を受けました。その年は1964年の東京オリンピックに向けて警備増員をしており例年よりも多くの採用枠がありました。そして、警視庁に決まりました。
交番勤務はたったの2年間で、あとは機動隊に入り、柔道を教える教官を育成するための武道専科に入りました。で、入った途端、ラッキーなことに、東京オリンピックから体重別に変わったことで、警察大会も体重別になり、そこで私も参考特練に配属されて、そこから警視庁で稽古をさせてもらい、全国大会に出場したり、手柄をたてたりして、現在の自分があります。いま思えば、お袋の「柔道をしなさい」という一言と、1964年に東京オリンピックがあり、そのオリンピックのために警察大会も体重別になったというのが私の人生の分岐点だったと思います。

 

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