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コラム第7回:ラフカディオ・ハーンと夏目漱石


1891年、嘉納治五郎は1年5か月の渡欧生活から帰国します。帰途にはエジプトのピラミッドに登り、コロンボ、サイゴン、香港などの寄港地を見学。ヨーロッパだけでなくアフリカやアジア各地の見聞は、グローバリストとしての嘉納の将来に少なからず影響を及ぼしているでしょう。また、身体の大きなロシア人士官に勝負を挑まれ見事に投げ飛ばしたという有名な逸話も、この帰りの船のなかのことです。

*本記事は、和田孫博氏の文章をもとに再構成しています。

 

熊本・第五高等中学校での改革運動

嘉納は帰国後まもなく学習院を辞め文部省に入省、参事官に任命されます。その頃に漢学者・竹添進一郎と知り合い、息女・須磨子と結婚。直後に熊本の第五高等中学校長を命じられ、まだ女学生だった須磨子を東京に残しての単身赴任となりました。

着任すると、嘉納は早速いくつか改革を実施。まず柔道場を設置し『瑞邦館』と名付けます。さらに英語教育の重要性から、外国人講師として島根県で英語教師をしていたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)を招聘。ハーンは随筆集『東の国から』に「柔術」というコラムを載せているので、引用します。この文中の大師範とはもちろん嘉納治五郎のこと。

―――
わたしがとくに諸君に注意をうながしたいのは、柔術の達人になると、自分の力にけっしてたよらないという事實だ。そういう達人になると、最大の危機にのぞんでも、ほとんど自分の力というものはつかわないのである。それじゃ何をつかうかというと、相手の力をつかうのである。敵の力こそ、敵を打ち倒す唯一の手段なのだ。そして、相手の力が大きければ大きいだけ、相手には不利になり、こっちには有利になるのである。あるとき、柔術の大師範の一人から聞かされた話で、おおいに驚いたことがある。それは、わたしが柔術のことはなんにも知らずに、ただ自分の考えだけで、クラスの中ではあれが一番かなと思っていた、或る力のつよい生徒がいたが、ところが、その大師範にいわせると、その生徒には、どうもやってみると、ひじょうにわざが教えにくいというのである。なぜでしょうかといって聞いてみたら、こういう答えであった。「あの男は、自分の腕力にたよりおって、それをつかいよるのでなあ。と。「柔術」という名偁そのものが、すでに、「身を捨てて勝つ」という意味なのである。(『東の国から』平井呈一訳 岩波文庫1952)
―――

さらに嘉納は、九州に大学を設置する運動を主導し、熊本県知事や福岡県知事にも呼びかけます。しかし赴任して1年半足らずで東京の本庁に戻ることになり、その運動は半ばで頓挫してしまったのでした。
 

夏目漱石から見た、嘉納治五郎という人物

1893年、嘉納は高等師範学校長に就任。まもなく夏目漱石を英語講師として迎えます。漱石の「處女作追懷談」という随筆の中に嘉納との面接の場面が、以下のように記されています。

――――
或日外山正一氏から一寸来いと言って来たので、行って見ると、教師をやって見てはどうかといふことである。(中略)外山さんは私を嘉納さんのところへやった。嘉納さんは高等師範の校長である。其処へ行って先ず話を聴いてみると、嘉納さんは非常に高いことを言ふ。教育の事業はどうとか、教育者はどうならなければならないとか、迚も我々にはやれさうにもない。今なら話を三分の一に聴いて仕事も三分の一位で済まして置くが、その時分は馬鹿正直だったので、さうは行かなかった。そこで迚も私には出来ませんと断ると、嘉納さんが旨い事をいふ。あなたの辞退するのを見て益依頼し度くなったから、兎に角やれるだけやってくれとのことであった。さう言はれてみると、私の性質として又断り切れず、とうとう高等師範に勤めることになった。それが私のライフのスタートであった。(『 漱石全集』 第16巻別冊 岩波書店 1967年)
――――

こうして夏目漱石は嘉納に乗せられる形で高等師範学校に勤めますが、当時の高等師範学校の寮は軍隊的に組織されており、独特の窮屈さからか2年で辞職。松山中学校に赴任します。そこでの思い出がモチーフとなったのが、かの有名な『坊ちゃん』です。皮肉なことに、漱石が去ったのち嘉納はこの寮の軍隊組織を廃止しました。

この後二度の中断がありながらも、嘉納は1920年まで高等師範学校の校長を務めあげたのでした。

 

▶次回コラム第8回では、近代オリンピックの復興に欠かせないフランス人クーベルタンにスポットを当てます。
「日本オリンピックの父」と呼ばれる嘉納と、運命的な共通点があったといえる人物です。

 

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