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【女子柔道振興委員会】JJ Voice No. 114 丸野 瞳さん

プロフィール
丸野 瞳(まるの ひとみ/旧姓:山口)1976年 山形県生まれ
羽黒高等学校教諭・女子柔道部顧問
講道館柔道女子四段

主な戦績
1992年 全国高等学校柔道選手権大会 52㎏級 優勝
1992年 世界ジュニア柔道選手権大会 52㎏級 2位
1994年 全日本女子柔道選手権大会  ベスト8

この度、このような機会をいただき大変嬉しく思います。紹介してくれた本田(旧姓:佐藤)綾香さんとは、同級生で中学1年生の夏に、講道館で行われていた夏期講習で出会いました。山形の田舎者で右も左も分からない私に、綾香ちゃんが話し掛けてくれてお友達になりました。綾香ちゃん、私を覚えていてくれてありがとう!

その夏期講習は1週間ほどの期間で、柔の形・投の形、そして最終日に昇段審査を行うものでした。柔の形という言葉を初めて聞く私の顔を見て、当時講習を担当して下さった先生は、「この中に落ちてしまう人もいるかもしれません…。」と仰っていたので、「こりゃ私の事を言ってる…。」と初日からものすごい不安を感じたことを今でも覚えています。泊まり込みの講習でしたので、夜は同じ部屋になった石川県からいらした方達に毎晩形を教えていただきました。後に私がその方の大学の後輩になったり、今でも年賀状の近況の報告をし合う関係になるなど、その講習は、私の柔道人生の中でも貴重な出会いがたくさんありました。
講習の結果は無事に昇段審査合格!ただ…、初段を取得できる年齢に達していないことから、「合格はしたけれど年齢になるまでは保留ね!」と言われました。山形に帰り、その言葉を守らず、嬉しくてすぐに黒帯を締めていた私です…。すみません…。

私は4人姉妹の長女で、2つ下と3つ下、そして一回り下の妹がおり、5歳の頃から柔道をしてきました。父が町のスポーツ少年団の指導者だったこともあり、4人ともすんなり柔の道に進みました。初めは遊び感覚でしたが、小学2年生頃からは「胸に日の丸をつけて表彰台で国歌を聞く」ことが私達の目標になっていました。毎日父と妹二人と私で朝トレをし、色々な所へ出稽古に連れて行ってもらい、夜も家でウエイトトレーニング。父はスパルタでした。正直、休みたい…と思った日も数えきれないほど…。朝早く起きて、目覚まし時計をわざと止めておいた時もあります。そんな時も「起床!!」と私達を起こし父は朝トレをさせ、そして学校まで車で送ってくれました。私達の練習や試合しか見ていない周りの人達は、父のスパルタぶりに、「いつかこの子達は柔道を嫌いになるだろう、もしかしたら非行に走るかもしれない。」と言っていたそうです。でも、柔道のことになると目の色が変わる父も、家に入るとひょうきんな一面がありました。お金が掛からない海や山などにしょっちゅう連れて行ってくれたり、家族で一緒にいる時間をたくさんつくってくれるなど、愛情を注いでくれていることをいつも感じました。私達は誰一人柔道を嫌いにならず、非行の道にも進まずここまで来ました。また母は、私達の体を心配し、栄養バランスを考えて食事などを作ってくれました。泣いて帰ったときは話をゆっくり聴いてくれました。そんな母は、怪我や大会の度に、「心臓がバクバクしていた。早く柔道を辞めてゆっくりさせてあげたいと正直思っていた。」と後に聞いたことがあります。娘達一人一人をしっかり認めてくれていた両親。私たち親子はしっかり信頼関係ができていたと感じます。

日の丸をつけるためには日本一にならないといけない。そのためには東北・県では勝つのは当たり前!どんなことをしていかなければいけないか?と、父はいつも今の立場や状況を分からせ、強化をしてくれました。全国高校選手権で優勝し、全日本の強化選手に選ばれたときはとても嬉しかったです。妹たちも全中や全国高校選手権で優勝するなど、三姉妹で強化選手に選ばれ、一緒に合宿に参加した時もとても嬉しかったのを覚えています。それぞれ国際大会にも何度か出場させてもらいました。しかし、私は国際大会優勝までは届かず親子で目標だった表彰台で国歌を聞くことはできませんでした。ただ、アルゼンチンで行われた世界ジュニア柔道選手権では決勝で敗れましたが、父も一緒に連れて行くことができ、私の試合を見てくれたことは本当に嬉しかったです。その父も51歳の若さで、病気で亡くなりました。その時の家族の喪失感は相当なもので、私達にとってどれだけ大きな存在だったか思い知りました。父が亡くなり、色々な方から父の思い出話を聞くと、本当に偉大な父だったなと心から思います。柔道を通じ、努力の大切さや気持ちの大切さ、そして感謝の気持ちを持つことを教わりました。また、人との出会いも私の財産になっています。柔道にのめり込ませてくれた父に感謝です。支えてくれた母に感謝です。一緒に努力してきた妹達に感謝です。

私は今、母校である羽黒高校で教諭として女子柔道部の監督、学年主任をさせていただいています。また、妻であり二児の母でもあります。これまでも今も、家族に支えられ、生徒達や親御さんから支えられ、仲間に支えられ、毎日を過ごしてきました。体は一つしかないので、正直「もっとこうしたいのに」「こうだったらいいのに」と思うときはたくさんあります。でも、今のこの環境を選んだのも私、弱音や愚痴を言う前にできることは何?信頼して羽黒高校に入ってきてくれている生徒たちや大事な娘さんを預けてくれる保護者の方々に感謝し、また、いつも支えてくださるすべての人に感謝し、これからも私らしく頑張っていきます。
生徒たちが卒業するときに柔道を好きのままで、「柔道を続けて良かった。羽黒に入って良かった。」と心から言ってもらえるような指導を目指します!
そして、いつでも帰って来られる場所として、会いに来たくなるような関係をこれからも築いていきたいと思います。

最後に、柔道を通じて学べることはたくさんあると思います。努力の大切さ、忍耐力、仲間意識、感謝の心、素直…など。周りの人たちに応援されるような、そんな素敵なかっこいい人が女子柔道界に増えるように、微力ながらこれからも柔道に携わっていきたいと思います。

現在の部員。インターハイ予選時の写真
団体戦決勝前にみんなで円陣組んで気持ちを一つにしている時
世界ジュニアの激励会にて母と妹達と私(赤い日の丸ジャージが筆者)
世界ジュニアの激励会にて父と私

次回は、丸野さんと同じ大学・実業団(埼玉大学→コマツ)の同級生である、武田淳子さんが登場します。

2024年アブダビ世界選手権大会

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