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【女子柔道振興委員会】JJ VoiceNo.64 中村 良三さん

プロフィール

中村 良三(なかむら りょうぞう)1942年 富山県生まれ
講道館柔道九段

主な戦績:

1964~1966、1968年 全日本選手権大会 出場

指導歴:

1970年~1984年 東京教育大学・筑波大学柔道部監督
1985年~1996年 筑波大学柔道部総監督、筑波大学女子柔道 監督・総監督
1989年~2001年 全日本柔道連盟女子強化部長
1992年 バルセロナ五輪日本代表女子監督
1996年 アトランタ五輪日本代表チーム 副団長

女子柔道と私
私は昭和40年(1965年)東京教育大学を卒業して、出身県である富山県の県立高校に奉職、その後昭和44年(1969年)東京教育大学へ助手として戻りました。
翌年から柔道部監督として大学柔道指導者としての道がスタートしました。当然、当時は男子だけの柔道部でした。(男子指導の経歴はここでは省略します)。昭和49年(1974年)、筑波大学の大学移転により東京教育大学、筑波大学の二重生活が始まりました。東京教育大学が開学するまでは両方の大学の学生は東京教育大学の名前のもと、団体、個人とも試合に参加していました。東京教育大学が終了すると、学生は筑波大学の名前で全ての活動が始まりました。その頃はまだ女子柔道は全国的ではなく、大学女子柔道もありませんでした。町道場等においても修行・活動する女子がいる程度でした。やがて、全日本女子柔道選手権大会が開かれるようになりました。私は以前から女子柔道について関心がありました。たまたま日刊スポーツの宮沢記者とのお話の中で女子柔道に話が移り、筑波大学で女子柔道はどうするべきかの話となりました。記者から、筑波大学こそ女子柔道の学生を受け入れ、強化だけではなく将来の指導者を育成していくべきであるというアドバイスを受けました。私個人としても、筑波大学に女子柔道学生を受け入れるべきだと思ったところでした。

早速、当時活躍していた山口香選手に筑波大学への進学を勧め、同意を得て入学が決まります。筑波大学女子柔道学生第1号となりました。続いて藤本涼子、佐々木光が入学。同時に、大学柔道部監督を教え子の小俣幸嗣氏に移行。私自身は総監督の名のもとバックアップをしていく立場になりました。そうしている中で山口香から、筑波大学の柔道部では『女子はただ男子に混じって練習をしているだけで何ら指導らしい指導は受けていない』という言葉を聞きました。そこで私は自ら女子担当を宣言して女子柔道部監督として指導にあたりました。三人の部員ですので。練習相手が大学男子だけではどんな女子の名選手といえども太刀打ちできません。そこで練習相手を求め私の車で出稽古に出掛けました。そこで古来伝わっている「三様の稽古」の実践をしました。大学生の男子に対しては、自分より上位の者にぶつかって行く「ぶつかり稽古」。出稽古で同等位の男子高校生に対しては「競り合う稽古」、女子との練習では「投げる、取る稽古」で技を磨くということです。1時間以上、同等もしくは上位の相手と稽古しても1本も投げることができないことも多く、技は伸びず、技のキレが出てこないわけで、出稽古は大変大切なものになりました。この様にして多くの所に出掛けましたが、出稽古については多くの練習先に助けて頂きました。特に出身の富山県高岡市の塩谷建設には多くのご援助を頂きました。その後も毎年のように受け入れて頂き、練習や合宿をしてまいりました。大学や実業団のチームが合宿等を通じて一緒に練習する場としてだけではなく、全日本女子強化合宿の会場としてもお世話になりました。この場を借りて感謝申し上げます。

私は女子への指導にあたる中で、私自身苦手としていた寝技に着目しました。自分ではできないけれど寝技は大変重要だと思ったからです。自分で寝技のスペシャリストの技や、技の入り方、攻め方を勉強し、考え工夫し、時にはそのようなスペシャリストを指導に呼び、重点的に寝技の練習を重ねました。特に、寝技の打ち込みと称して、立ち技の打ち込み同様に寝技の攻め方の反復練習を重ね、試合で取れる寝技を目指しました。成果はあったと思っています。他にも男子の指導の時代から続けてきた、投げ技の打ち込み練習の多様化、乱取方法の工夫等、様々な取り組みを継続してきました。その結果、徐々に成果が表れ、山口香、佐々木光、楢崎教子、前田桂子、薪谷翠、谷本歩実、佐藤愛子、杉本美香、福見友子の9名の五輪・世界チャンピオンを始め、他数多くのメダリストが誕生してくれました。しかし、残念ながら私の指導力不足で素質ある学生をチャンピオンに育てられなかったことは今でも心残りです。

一方で、全日本柔道連盟女子強化部長として1992年バルセロナ五輪の監督も仰せつかりました。副団長として参加した1996年のアトランタ五輪では初の女子チャンピオンも生まれました。しかし、当時の強化システムとして全日本の合宿の数は少なく、強化選手は所属(大学・会社等)に頼っていました。全日本の監督・コーチは、選手の所属先とは関係なく選ばれており、一体感が薄いものであり当時の私は大いに問題を感じていました。現在のシステムはわかりませんが・・・。
平成18年(2006年)筑波大学を定年退職、指導の現場から離れることになりました。

海外での全日本女子強化合宿
筑波大学に合宿に来ていたフランスチームコーチ陣との会食(中村宅にて)左:故 竹内善徳先生、中央:故 粟津正蔵先生
海外選手を自宅に招いての会食
筑波大学女子柔道部との会食①
筑波大学女子柔道部との会食②
中村先生のご自宅まで原稿を受け取りに行った際の写真(佐藤:JJVoice担当者)
左:長年、中村先生を支えた美恵子夫人(右:担当者佐藤の息子)

次回は、中村先生の教え子であり、筑波大学女子柔道部をコーチとして支えた吉見浩二さんが登場します。

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