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【女子柔道振興委員会】JJ Voice No. 81 佐藤 明代 さん

プロフィール
佐藤 明代(さとう あきよ/旧姓:村上) 1972年 宮城県生まれ
東北高等学校教諭・女子柔道部顧問
講道館柔道女子五段

主な戦績:
1987・89年  全日本女子柔道体重別選手権大会 出場

皆さんこんにちは。この度、野田亜海さんからバトンを受けました、佐藤明代です。野田先生は、現在指導者として活躍されている女性指導者の一人であり、私の可愛い教え子でもあります。僭越ではありますが、私の自己紹介とこれまで学んだ柔道観についてお話させていただきます。
私は、宮城県仙台市で生まれました。八木山柔道愛好会で小学校6年生から柔道を始めました。仙台向山高校を卒業後、国士舘大学体育学部に入学。競技に打ち込みながら、体育科教員としての基礎を学びました。大学卒業後は縁があって宮城・東北高等学校の教員として採用していただきました。女子柔道部創部のタイミングで、生徒も私も一からのスタート。初心者マークの私によくついてきてくれたな、と感謝しています。当時の宮城県は、私立の強豪・仙台育英学園と県立ながら体育科を設置している柴田高校の2強状態でした。新たに伝統を作っていく立場の私は、ともに稽古する生徒たちを何としかして勝たせてあげたくて、まさしくスポ根のような練習を繰り返しました。高校総体の前日、生徒たちに「やれることはすべてやってきた。勝てるかどうかはわからない。私を信じて!お願い、勝って!!」と言ったのは私です。必死についてきてくれた生徒たちを信じる気持ちと、畳の上で、存分に練習の成果を発揮してほしいという願いから、その言葉で生徒たちを畳の上で送り出したのです。

●影響を与えてくれた2人との出会い
私の人生の中で、影響を与えてくれた人物が2人います。その一人が国士舘大学の森脇保彦先生(現体育学部教授・柔道部部長)でした。森脇先生に出会い、柔道に対しての取り組む姿勢や、指導者として大切なことを沢山教えていただきました。森脇先生は口数こそ多くありませんでしたが、常日頃から基本を重視していました。そして、目標に向けて取り組むことがどれだけ大切かを教えていただきました。先生とお会いできたことは、まさに巡り合わせであったと思っています。私が大学時代に、怪我がありながらも4年間続けることが出来たのは、先生のお陰であり、大学を卒業して何年経った今でも、学生時代に先生から教えていただいたことを常に思い出しながら、指導にあたっています。
もう一人が、教え子の海老沼香菜(旧姓:阿部)です。彼女は宮城出身で、全中ベスト8の実績があった選手。地元に残り、東北高校の門をたたいてくれました。当時、東北地方には、他の強豪ひしめく地方に比べると、中学校まではあまり追い込んだ練習は行わない道場や中学校が多い傾向にありました。そんな中、中学校までに強さが目立つ選手が現れると、関東の強豪校に進学してしまうことが多く、結果として東北地方に残ってもらえないことが、東北地区の柔道界の課題の1つだったのです。そのような状況の中、「東北地区からも世界を狙える選手を育てられるはずだ」と、自身を鼓舞し、香菜さんと二人三脚で日本一を目指しました。私の家の向かいのアパートで寝泊まりしてもらいながら、柔道に没頭しました。当時私にはまだ幼い息子が2人いましたので、毎日必死でした。大変な毎日でしたが、彼女と日本一を目指した3年間はあっという間でした。それまでの練習はもちろん、生活の全てをかけて励んできた実感が私たちにはありました。それだけに、インターハイの決勝戦、延長で敗れた時、「これ以上何を考えれば勝てるのだろうか?」2人で抱き合い涙を流したことも良い思い出です。その時の悔し涙がその後の頑張りにつながり、香菜さんは、高校卒業後三井住友海上に入社し、世界選手権に2度も出場しました。引退後は海老沼匡選手と結婚し、現在は主婦として幸せな家庭を築いています。

●実績よりも最後までやり通すことの大切さ
指導をしていく上で、葛藤も多くありました。香菜さんを日本一に導くことが出来なかった私は、「一生日本一の選手を輩出することが出来ないかもしれない」と弱気になりました。そんな時、メキメキと頭角を現し、2年生でインターハイの優勝旗を獲得したのが野田亜海選手です。大学卒業後は教員として活躍していた彼女とは、食事をしながらお互いの近況について情報交換しあう仲です。彼女は、現在シンガポールで柔道指導を行っています。若いうちに思い切って様々なことにチャレンジしてほしいと願っています。
実績を残した教え子のことはもちろん印象深いのですが、指導者人生の中では、入学時に弱かった生徒が勝つことの出来た時の笑顔や、実績を残すことが出来なかったけれども3年間一生懸命やり通し、胸を張って卒業する姿を見ることが一番の喜びです。それがあるから辞められません。私は柔道の指導を通して、勝つことだけではなく、1つのことを最後までやり通すことの大切さを教えたいと考えています。この考えに気づいたのは、自分自身が大学在学中に腰の怪我に苦しみ、4年間の半分は治療、手術、リハビリに費やしたからだと思います。競技に打ち込みたい気持ちが募る一方、自身のコンディショニングに掛ける時間は、自分と向き合う時間でもありました。正直に言うと、選手としてはやり残したことがあったと思います。しかし辞めずに最後までやり通したことで、周りの方への感謝の気持ちに気づきました。高校の教え子たちにもこの気持ちに気づいてほしいのです。高校時代にしっかりとした根を張り、その後の人生で花を咲かせてほしい。今の時代にはそぐわないかもしれませんが、最終的には素敵なお母さんになってほしいですね。

●これからの柔道界
私が女子柔道の指導者としてスタートした当時は、まだ女性指導者は多くはありませんでしたし、結婚、出産を機に柔道から離れてしまう方が多かったことも事実です。私自身も3人の子育てをしながら(現在は長男21歳、次男19歳、長女14歳)今日を迎えています。困難がなかったとは言いませんが、たくさんの方々に支えられながら、特に柔道界では学閥や男女の差等関係なく、多くの先生方に可愛がっていただき今日があると感謝しています。柔道界も今、女性の登用を積極的に行うなど、時代に合わせた考えで変わろうとしていると感じています。そのことは大切で喜ばしいことではありますが、それと同時に「温故知新」の考えもなくしてはいけないと考えています。男性も女性もそれぞれの長所を認め、調和しあうことが柔道界の発展につながっていくと感じます。
3年前より、宮城県高体連柔道専門部の副委員長、今年度からは宮城県柔道連盟常任理事に入れていただきました。コロナ禍で考えさせられた「文武両道」の意義。価値観が多様化している中でも、私自身が学んできたスポーツを通じた心身の成長、柔道を通じた規律、協調性は、これからの国際社会でも生かされると思います。まだまだ力不足でありますが、諸先生方に教えていただきながら、苦手なことにもチャレンジしていきたいと考えています。

2013-年リオデジャネイロ世界選手権大会にて阿部香菜選手と
長男のインターハイ優勝(ウエイトリフティング)後、家族で記念撮影
2018年全国高等学校柔道選手権大会準優勝を果たした教え子の對馬みなみ選手と

次回は、佐藤さんの大学時代の恩師である、森脇保彦先生が登場します。

2024年アブダビ世界選手権大会

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