September 15, 2019

【訃報】長谷川高彦氏(国際委員会在外委員)

【訃報】長谷川高彦氏(国際委員会在外委員)

本連盟国際委員会在外委員(在フィジー)の長谷川高彦氏におかれましては、平成19年7月29日(日)午後4時50分、心不全のためご逝去されました。享年、74歳。

ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

フィジー柔道の普及発展に多大なる貢献をされた長谷川氏の主な経歴は下記の通り

1951年、早稲田大学法学部に入学と同時に柔道部に入部。マネージャーとして活躍。卒業後、大成建設㈱に入社。1977年、同社海外事業所(フィジー)勤務。フィジー柔道協会会長となり、道場を作り、柔道指導を開始。

1991年、米国サンフランシスコ、ペタルマゴルフ場支配人に就任。1994年にフィジー国に移住。クラブ・コーラル・コースト㈱を設立し、パシフィックハーバーで貸別荘Club Coral Coast を経営するかたわら、フィジー柔道協会の会長や副会長を歴任、また女子ナショナルチーム・ヘッドコーチとして永年、フィジー柔道の普及、発展に多大なる貢献をされてきた。2000年シドニー五輪には女子コーチとして、2004年アテネ五輪には教え子のシシリア・ナイシガ選手(78kg級)とエリナ・ドロンドロン選手(57kg級)の監督として参加。

長谷川氏を父に持つ女子パワーリフティングやボディビルの元日本チャンピオン、そしてアメリカンフットボーラーの長谷川尚子氏(プルデンシャル生命保険 東京第三支社 第三営業所長)は、父の仕事の関係で少女期をフィジーで過ごしたが、そこで父から柔道を習ったという。

在フィジー日本大使館の支援により、フィジーの首都スバ市内にある高校のグランドを一部借り、また日本万博記念基金助成金の交付を得て、2005年春に長谷川氏の永年の夢であった「南太平洋柔道トレーニングセンター」の建設に着工。同トレーニングセンター所長として、2006年1月10日にオープニング式典を挙行するに到った。費用の半分は長谷川氏個人が私財を投げ打ってのものであった。

「南太平洋柔道トレーニングセンター」建設の目的を、生前、長谷川氏はこう語っていた。

『目的の第一は、南太平洋の中心であるフィジーの首都スバに、常時柔道をする場を持つことによって、近隣諸国の選手に練習の場ができ、オーストラリアやニュージーランドに行くより安い費用でセミナーや大会等の実施・参加が可能となり、当地域の実力向上に寄与できる、という点です。第二に、フィジー国内の中・高等学校に柔道教育の組織を作り、競技人口を一挙に増加させることが可能となります。現在の100名程度を500名程度まで、簡単に言えば、南太平洋にオーストラリアと対等に渡り合える柔道勢力を当施設によって作り上げ、この2大勢力がお互いに切磋琢磨して実力をつけ、世界の柔道に追いつくことを最終の目的としております。』

長谷川氏は日本とフィジーを中心とする南太平洋諸国の国際交流の架け橋となって、大きな夢の実現に向けて「南太平洋柔道トレーニングセンター」をスタートさせたばかりであったが、薬石効なく長逝された。

フィジー柔道の父・長谷川氏の大きな夢が、いつの日か実現されることを祈りたい。

講道館柔道6段

2006年11月10日、旭日双光章受勲。

長谷川高彦氏に関する記事は、下記に掲載されている。

http://www.fiji-ccc.com/owner.html

http://www.yumeiro.info/m/010/010.html

http://www.movin-you.com/back/02_1129/daijest.html


2004年 アテネ五輪に監督として参加

2005年「南太平洋柔道トレーニングセンター」の建設に着工

2006年1月「南太平洋柔道トレーニングセンター」完成

オープニングセレモニーで在フィジー諸島共和国滑川稚士特命全権大使とのテープカット

オセアニア柔道連盟会長ハーグレーブ女史と

協力隊元フィジー隊員の木村純忠氏を迎えて

完成した「南太平洋柔道トレーニングセンター」で、試合前の練習に励む選手たち

アテネ五輪フィジーの選手村の前で