第34回<参考文献>老松信一:柔道百年 .時事通信社.167-182,1967.丸山三造:世界柔道史.恒友社. 280-302 1967.松本芳三:写真図説柔道百年の歴史. 講談社. 79-112.1970真柄浩:川石酒造之助について. 武道学研究10(2), 89-91.1977.経緯谷は、1905年(明治38)年、日露戦役前にアメリカ次いで欧州に渡り、レスラーやボクサーなどと試合を行っていた。谷はロンドンのステージでは敗れたことがなく『リトル・タニ」として名をはせた。小泉は、同年日露戦争直後、支那大陸で働きながら渡欧。谷とともに1920(大正9)年武道会を組織した。ハンガリーの貴族であるニコラス・デ・セイミアーは、日本が日露戦争で勝利したのは、国民の旺盛な元気によるもので、それは柔道によるところが大きいとした。そこで、在ウィーン日本大使牧野紳顕を介し、時の高等師範学校教授佐々木を派遣した。佐々木は、ハンガリーを去ったのち2年間の文部科学省留学生となりベルリンにわたり、ドイツ皇太子から駐独大使珍田捨巳(ちんだたつみ)を介し約2か月指導。しかし、ドイツへの柔道は、これまで日本からドイツへの医学留学生などから未熟な技術で伝来されていたため、当時の柔道は、軽んじられ普及していなかった。ミュンヘンで約1年間警察官を中心に指導。工藤は、ベルリン大学と体育大学に指導。次第に本来の日本柔道に魅了され、ドイツに普及していった。1928(昭和3)年、嘉納師範が第9回国際オリンピック大会の帰路ベルリンに立ち寄った際、警察学校において講道館柔道について会田、工藤とともに講演したことで、急速に日本柔道へ転換していった。大正9(1920) 年に嘉納師範がヨーロッパを訪問した際に、同行していた会田がヨーロッパで講道館柔道の指導・普及を行った。1924( 大正13) 年にはスポーティング・クラブで柔道を教え、同年石黒が渡仏してパリを中心に柔道の紹介を行った。昭和10(1935) 年10月、川石がフランスにわたり、柔道クラブ創立。川石独自の考えによる川石方式指導法(メトード・カワイシ)は、興味を持たせるように工夫され、フランス柔道の基盤となった。山下は、米国の鉄道王サミュエル・ヒルの招聘に応じて渡米し、ルーズヴェルト大統領に教授したのをはじめ、ハーバード大学、アナポリスの海軍兵学校などにも指導した。国名イギリス 1905(明治38)年ハンガリー 1906(明治39)年 佐々木吉三郎(ささききちさぶろう)ドイツフランスアメリカ 1903( 明治36) 年 山下義韶(やましたよしつぐ)始まりとされる年草分け者谷幸雄(たにゆきお) 小泉軍治(こいずみぐんじ)1907( 明治40)年 佐々木吉三郎1923(大正12) 年 会田彦一(あいだひこいち)1926(大正15)年 工藤一三(くどう かずぞう)1924(大正13)年会田彦一 石黒敬七(いしぐろけいしち)1935(昭和10)年 川石酒造之助(かわいしみきのすけ)教育普及・MIND委員会 教育普及部会 文/曽我部晋哉(甲南大学 教授) 教育普及・MIND委員会では、日本の柔道教育普及活動をより充実させるために、各国連盟の協力のもと、世界の柔道最新事情や取り組みについての調査・報告をしております。「アメリカの柔道はいつから始まったの? 誰が導入したの?」など、各国の柔道家と話す際、その国の柔道の始まりはおさえておきたい知識です。誰がどんな思いで何を目的に世界へ広めていったのか、改めて原点を振り返ってみようと思います。今回は各国の「柔道の始まり」について紹介します。 まずは、柔道の出発点について確認しておこう。柔道は、言わずもがな嘉納治五郎師範により1882(明治15)年に創設されたものである。 嘉納師範は柔道創設にあたり以下のように口述している。 「(前略)もし単に武術の道場というならば、練武館、講武館、又は尚武館などといったであろう。故(ことさら)に之を避けて講道館といったのは、道は根本で、術は其の応用として授けけることを明らかにする意である。此考を以て、明治十五年五月に、講道館を下谷の北稲荷町永昌寺に於て創始したのである。」(昭和2年『作興』3月号所載) つまり、柔道は人としての道の追求なのである。 さて、欧州に講道館柔道を最初に伝えたのは、嘉納師範が1889(明治22)年9月、1回目となる宮内省派遣による欧州教育事情視察の際であるとされている。それ以降13回にもわたり、中国や欧米各地に出張し、柔道の講演・実演を行い精力的に普及に取り組んだのである。下の表のように各国の柔道の始まりを見ても、彼らが世界へ発信したスピードに驚かされる。現代のように飛行機を使って10時間程度で欧州に到着できるわけではない。当時の旅客船の欧州線定期表を確認すると、横浜-ロンドンは約40日から50日の日数を要している。ましてや、この期間日露戦争(1904-05)や第一次世界大戦(1914-18)など今と比べ物にならないほど、世界情勢が緊迫している。また、言葉の問題もかなり大きかったのではないかと予想する。 それなのに何故、先人たちは、人生をかけて柔道を広めてきたのか。察するに、柔道の理念に集約される「自他共栄」こそ、世界平和に必要だったからではないだろうか。決して、柔道の強さだけを示したかったわけではないと思う。現在もなお世界各地で戦争が勃発している。先人たちが命がけで伝えたかったものは、日本発祥の新しい技術体系である「柔道」もさることながら、「人の道」だったのだろう。世界平和を願いながら、彼らは40日間船に揺られ、大いに夢を語り合ったに違いない。各国の柔道の始まりを知ると見えてくる。伝えたかったのは世界平和?!
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