人と人をつなぎ、親と子、家族をつなぐ柔道の魅力――柔道を始めたきっかけは?「両親が柔道塾を営んでいたので、子どもの頃から畳を打つ音を聞きながら育ちました。入門したのは3歳。小学生の練習1時間を途中で投げ出さずにやれるようになったら、入門していいと言われ、誕生日に始めました。後から『あの時はよくやりきった。3歳とは思えんかった』と何回も聞かされました。道場という空間が好きでしたね。家族みんな畳の上にいるし、目にするのも柔道のお兄ちゃん、お姉ちゃんばかり。海外の柔道修行者もよく受け入れていて、とにかく熱量があがる場所、ワクワクする場所でした。父と母はこうして大好きな柔道を仕事にしているんだなと、子どもながらに感じていました。道場の在り方もかなり独特で、柔道の練習をした後には道場に机を並べて勉強する。朝日新聞のコラム『天声人語』を要約したり、感想を言ったりする。柔道に関しても、毎週父と合気道を教わりに行く、相撲やレスリングの技術も学ぶ。卒業生が東大柔道部に進んでいたので、そのご縁で合宿に参加させていただき寝技を教わる。いろいろな人と出会い、いろいろなものを吸収して成長できる、そんな場所でした。中学、高校と紀柔館での練習をベースに、出稽古を重ねる形で全国大会にも出場しました。負けず嫌いだったのと、何より自分が頑張ることで道場の人や家族が喜んでくれる、笑顔になってくれるのが嬉しい。そこに魅力や興奮を感じていたように思います」 ――大学は、強豪・筑波大に進学しました。「温かいアットホームな町道場しか知らないまま、世界を目指す選手たちの集団に入っていったのでギャップに悩むことが多かったですね。『勝たないといけない。成績を残さないと認められない』という空気を感じて、勝てない自分はダメなんだと思い詰めてしまいました。もともと粘り強く戦うタイプなのですが、練習相手に『あの子やりにくいね』と言われて、『あぁ、この柔道じゃダメなんだ』とへこんだこともありました。今だったら『それ誉め言葉やん』と笑い飛ばせるのですが、当時はそんな余裕もなかった。指導者になった今は、自分は競技者として甘かったと振り返れるようになりましたが、その頃は毎日が辛くて、結局成績を残すこともできず、自分のことも好きになれず、いつの間にか柔道を好きじゃなくなっていました」――卒業後はドイツで指導に携わります。「毎年筑波大に合宿に来ていたドイツナショナルチームのヘッドコーチから声をかけてもらい、大学を卒業した年の9月からドイツのミュンヘンにある柔道クラブのコーチになりました。子どもたちから社会人まで幅広い年齢の方が対象で、社会人には『ホビーグループ』という乱取をあまりしない趣味で楽しむ方たちのクラスもあり、自分が育った道場と似た空気を感じました。最初は大変でしたが、英語でなくドイツ語でコミュニケーションをとれるようになると、ぐっと距離が縮まりましたね。2年目からはナショナルチームのコーチにもなりました。ドイツでもナショナルチームは勝つことを最優先にするという点では、あまり日本と変わりません。ただドイツではナショナルチームの選手であっても柔道だけで生活するのは難しい。なので、トップレベルの選手でも勉強と両立するのが基本です。学生であればテスト期間は勉強を優先するのが当たり前ですし、将来お医者さんになるコースに在籍している強化選手も結構いました。海外に出たことで、あらためて日本の柔道に誇りを持つようになりました。発祥の地である日本で柔道をしていたからこそ大事にされる。また『柔道でないと得られないものってなんだろう』と考えるようになりました。勝つ喜びだけなら柔道でなくてもいい。例えば試合に出るのは嫌だけど道場で柔道をするのは好きという子もいる。そういう子がいたっていいと思う。選択肢を増やしてあげることでいろいろな関わり方ができる。その受け皿になれたらいいなと」――現在の活動は?「ドイツで3年半過ごした後、帰国して紀柔館での指導に携わるようになりました。いまは講道館大阪国際柔道センターでも指導員を務めています。また年に1~2回は海外にも行くようにしています。一昨年はカナダ、去年はドイツとフランス。今年はアメリカのフロリダで3か月指導しました。フロリダで初心者の女性と乱取をしたのですが『康子と柔道するのは楽しい』と喜んでくれて、その次はもう少し練習が激しいクラスに参加して、しかも娘さんまで連れてきてくれたんです。うれしかったですね。生まれ育った町道場を出てから、トップレベルの競技の世界に触れ、そして海外で柔道がどんなふうに受け入れられているかも知った。いろいろ経験する中で『私が柔道することで周りの人が笑顔になる』ことが自分にとって大切な要素なんだなと気づきました。人と人をつなぎ、親と子、家族をつなぐ。そんなローカルな町道場から広い世界につながることもできる。日本発祥でこれだけ世界に広がっている柔道だからこその魅力です。柔道をする人がもっと増えたらいいなと思います」腹巻康子さんが選んだ道町道場の指導者FILE.26▲ドイツコーチ時代▲紀柔館の仲間とフランスから来塾した柔道愛好者たち▲子ども時代の腹巻康子さんまいんど vol.45PROFILE腹巻康子 はらまき・やすこ1993年生まれ。和歌山県和歌山市出身。3歳から紀柔館で柔道を始める。全国小学生学年別柔道大会6年生女子45kg超級ベスト8、西脇中学校2年、3年時に全国中学校柔道大会出場。信愛女子短大付属高校では近畿高等学校柔道新人大会優勝。全国高等学校柔道大会出場(57kg級)、筑波大学体育専門学群に進み、全日本学生柔道優勝大会や全日本学生体重別団体、国民体育大会など出場。卒業後はドイツのミュンヘンでクラブチームの指導者となり、その後ドイツナショナルチームのコーチも務める。現在、紀柔館と大阪講道館を中心に指導者として活動。町道場を営む両親のもと、子どもの頃から柔道の楽しさや魅力に触れる。大学時代には競技で頂点を目指す厳しさを経験し、その後ドイツでナショナルチームの指導にも携わる。現在、自分が育った道場で活動するかたわら、海外でも指導を続ける腹巻康子さんを紹介します。29やわらたちのセカンドキャリアやわらたちのセカンドキャリア〜私たちの選択〜〜私たちの選択〜
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