まいんど vol.44 全日本柔道連盟
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金野潤前全柔連強化委員長(日本大学教授)今年の天皇杯と皇后盃技術・戦術・駆け引きが凝縮され、観ていて非常に緊張感のある試合展開となりました。特に今回は、足を取る技術が実戦の中で多く見られ、短期間でここまで対応してきた選手たちの順応力には感心しました。なかでも、警察所属の選手たちは、講道館杯などではなかなか上位に上がれない場面も見られますが、今大会では、日頃から磨き上げた技術を存分に発揮していたように思います。足取りは、一瞬で状況を逆転させる可能性を持つ技術であり、それを上手に活用した選手が勝利を収めていました。原沢久喜選手のように、フィジカルもスタミナも全盛期と比較すれば決して万全とはいえないなかで、戦略と技術を駆使して決勝に進出した姿には、柔道の奥深さが現れていたと思います。現在のIJFルールでは、試合展開や勝敗においてフィジカルの強さが大きな因子となっており、それが良い悪いということではなく、「競技としての柔道」を形作っているのが現実です。しかし、全日本選手権においては、そのフィジカルの差を「技術」で補える可能性が明確に残されていることが、今大会を特別なものにしていたと思います。技術によって体格差や体力差を乗り越え、戦略によって主導権を握る姿には、柔道本来のおもしろさと奥深さがありました。今大会では、どの選手にも決勝進出の可能性が開かれており、ベスト8以上の選手が再戦すれば、また違った結果になるかもしれません。実際、優勝者・ファイナリストを事前に予想できた人は多くなかったと思われます。私自身、予想を外しました。これは、突出した強者が不在であったことに加え、ルールによって勝敗が揺れやすくなったことが大きく影響していると考えます。ルールの変化が、試合をよりスリリングに、観る者にとって魅力的なものにした大きな要因だったと思います。皇后盃全日本女子選手権大会(以下、皇后盃)で、あれほど多くの観客が入っているのを見たのは初めてでした。天皇杯全日本選手権大会(以下、天皇杯)も指定席が完売し、非常に多くの観客の方々にご来場いただいたことは、いち柔道家として、大きな喜びを感じました。今年の天皇杯・皇后盃が盛り上がった理由は、大きく2つあると思います。まず1つは有名選手の出場です。皇后盃では角田夏実選手、天皇杯では阿部一二三選手、橋本壮市選手、永山竜樹選手、田嶋剛希選手、田中龍馬選手といったパリ五輪メダリストや世界チャンピオンが出場し、重量級の選手たちと戦う構図に、大会前から大きな注目が集まりました。テレビやYouTubeなどでも人気の高いウルフアロン選手の出場も、観客動員に大きく貢献したと思います。なかでも、軽量級の選手たちが、体重無差別の天皇杯・皇后盃において、勝利が容易でないことを理解したうえで出場してくれたことは、柔道界全体の発展を願っての英断だったと思います。ケガのリスクもある中で、出場を決意してくれた選手たちには、心から敬意を表したいと思います。もう1つの要因はルールの変更です。いわゆる「足取り」(帯から下への攻撃)が解禁され、技術の幅が広がり、これまでのIJFルールとは異なる魅力が発揮されました。また、試合時間が5分と定められ(決勝は8分間)、判定決着となることで、その5分間における改めて天皇杯・皇后盃ルールの良さを挙げるなら、「勝敗が良い意味で揺れること」です。単なる「指導」の数ではなく、「技」の印象による評価が勝敗を左右する場面もあり、技を中心とした柔道の本質的な魅力を重視しつつ、観客にとっても非常におもしろい試合内容となっていました。一方で、改善の余地もあると感じています。現状では、多くの選手が日常的にIJFルールで稽古を行っており、天皇杯が近づいた段階で初めて「足取り」を含む天皇杯・皇后盃ルールに短期間で適応しようとするケースがほとんどです。これでは、足取りを含む高度な技術の深まりや洗練が十分に進まないという課題があります。今後、IJFルールと天皇杯・皇后盃ルールの差異が少しずつ縮まっていくことで、選手が日常的に双方の技術を高めていけるような環境が整えば、より豊かな柔道の表現が可能になるはずです。「ルールの違い」というおもしろさを残しつつも、それが技術習得や競技力の成長を阻害するものであってはなりません。IJFルールとは異なる方向に舵を切った天皇杯・皇后盃ルールは、柔道本来の魅力を追求しようとするものです。その理念を柔道界内外がどう評価し、どのように発展させていくかが、今後の重要な課題となります。ただ「おもしろかった」で終わらせるのではなく、なぜこの形に戻したのかという本質を、我々関係者一人ひとりが深く理解し、IJFと全日本柔道連盟の間で丁寧な対話を重ねながら、ルールと競技の未来を築いていく責任があると思います。金野潤前強化委員長が見たルール変更がもたらした技と駆け引きのおもしろさ14まいんど vol.44開会式から観客席がほぼ埋まった今年の天皇杯             

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