まいんど vol.37 全日本柔道連盟
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連載特集 1 前置きが長くなりましたが、図1を見てわかるように全柔連の登録者数の増減は1989年以降を確認することができ、講道館の入門者数の増減は戦後の数値を確認することができます。 全柔連の登録者は、競技として実施している選手とそれに関わる指導者が多く、講道館の入門者数は競技者も含まれますが、教育機関(体育系大学や柔道整復師の専門学校など)で初段を取得した人も多く含まれます。 全柔連の登録者数はある程度「継続」を確認することができますが、講道館の入門者数は「継続」が表現されるものではありません。そのため、これらが示す数値の意味や解釈は異なることになります。しかしながら、興味深いことに1989年以降の講道館の入門者数と全柔連の登録者数は、有意に高い正の相関を示します(図2)。 それぞれの数値は、柔道に関わる人を含めた柔道人口という大きな集合体から一部分を抜き出した数かもしれませんが、有意に高い相関でしたので、全体の数の影響を受けている可能性が高いと考えました。そこで、戦後からの記録が残っている講道館の入門者数の増減(日本の人口で補正したもの)を柔道人口の増減の指標としました。 この図の説明がかなり長くなってしまいましたが、ここが理解できるかで、この増減の解釈が変わります。まず、日本の人口で補正をしていますので、「日本の人口が増えたから柔道人口も増えた」とか「日本の人口の減少が影響して柔道人口が減少した」という「日本の人口」という原因は排除されています。長期育成指針の中では、日本の人口減少と人口構成の不均衡(少子高齢化)が多くの問題の起点になることを挙げていますが、これは日本の問題であり(もちろん私たち日本人が解決を図らなければなりませんが)、「柔道離れ」の原因にはなりません。日本における柔道の普及や「柔道離れ」は、日本の人口全体の何%が関わっていたものが普及によって何%増えたとか、何%の人が関わっていたが何%減ってしまったという割合(シェア率)で見たほうがよいでしょう。ただ、柔道の本質の普及は質的な分析が必要になり、量的な評価だけではできないので注意が必要です。この説明を始めると、みなさんを大混乱させてしまうので、今回は省略します。 柔道人口指標をみると、「柔道離れ」が今だけの問題ではないことがわかります。1964年の東京オリンピックの次の年にピークを迎え、それ以降は横ばいの局面はあるものの大きな流れで見た場合は減少し続けていることになります。それでは、それぞれの時点で問題視していなかったかというとそうではありません。急激な減少が見られるたびに問題視されています。例えば、1965年を境に柔道人口が減少傾向にあることを問題視し、当時の全柔連の事務局次長の細川が柔道人口開拓の必要性を述べています。また、尾形(1980)は「日本国内における底辺の拡大は必ずしも芳しくなく、特に中学校、高等学校における柔道部員数は減少傾向にあり、柔道人口の低減が問題になってきている」としており、その時期については「昭和46~52年当時は、運動部人口は年々増加しながらも、柔道部員数が減少していた(尾形・松本、2006)」としています。この図でいうと、1969-1974年の急激に減少している局面と重なります。また、1998年に開催された柔道専門分科会で芳賀と武内は「現在学校柔道において、少子化による就学児童の減少、教員採用者数の減少等によりさまざまな柔道指導の状況変化があり、またその指導内容等にも検討する必要が生じていること、また、地域社会における柔道にあっては、柔道人口減少をくい止め、より活性化を図るため施設開放、指導者の充実、特徴ある指導などが必須となってきている」としています。これは図1の1992-1998年の急激な減少と重なっています。 このように、柔道人口減少の問題は何度も挙げられていますし、1998年の柔道専門分科会の内容は四半世紀経ったいまの問題とほとんど変わりません。その時々でさまざまな対策が行われてきたと思いますが、未だに解決に至っていないことになります。厳しく言えば、いま柔道界にある危機感や焦りには〝いまさら〟感がありますし、私は柔道人口減少の問題よりも柔道界が「これまで実施した取り組みに対して仮説や検証を行っていないこと(その記録が残っていないこと)」に危機感を感じます。「これをやります!」とか「これをやりました!」ということは高らかに発しているように見えますが、その結果にあたる「何が変わったのか」を見聞きすることはありません。これまで日本の柔道界を牽引してきた方々は事実を受け止めて、猛省すべきでしょう。 実はこの考え方(全柔連の発行する『まいんど』上で、全柔連や柔道関係者を批判的にみて意見することなど)が長期育成指針の掲げる問題の本質に関わってきますが、この点については丁寧に説明する必要がありますので、後に機会を作りたいと思います。 ここで、もう一度確認しておきたいことは、過去に問題視されたときに、何を原因に挙げているのかということです。1969-1974年の激減を問題視した尾形と1992-1998年の激減を問題視した柔道専門分科会(芳賀・竹内)の共通点は、学校教育に頼ってきたことを前提とし、「指導者不足(指導者養成不足や指導者の能力不足)」と「施設の不備(場所の問題も)」を挙げている点です。アカデミックな分野だけでなく、現場でも実績のある先生の考えですので、「そのとおりだ」と納得してしまいそうです。しかし、柔道専門分科会で問題視してから四半世紀経った今も柔道人口の減少を食い止めることができていないという事実から、これらが本当に柔道人口減少の原因と言えるのかを疑うことから始めるべきです。 次回は、これまでと違った視点で、「柔道離れ」の原因について考察してみたいと思います。(敬称略)11まいんど vol.37

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