まいんど vol.35 全日本柔道連盟
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素晴らしい柔道選手ミシェル・ブルースは、現在のように有名で尊敬される学者になる前は、非常に才能のある柔道選手でした。彼は幼い頃から家族が柔道をする環境で育ち、7歳で柔道を始めました。父親はトゥールーズの柔道のパイオニアの一人であり、7段で国際審判員でした。 ヨーロッパカデ選手権とヨーロッパジュニア選手権で2度優勝したミシェル・ブルースは、柔道の才能がある若者でフランスの将来の希望の一つでした。1970年に彼はジュニア選手でしたが、日本でのフランス代表チームの最初の合宿にシニアチームとともに日本に派遣されました。このユニークでまったく新しい経験のためにこの国を旅行することは、ミシェルの人生のマイルストーンになったことでしょう。「この合宿は、選手としての私の柔道キャリアにおいて重要なイベントの一つでした。日本で過ごした3か月間、私たちは柔道で最も強い2つの大学、明治大学と天理大学で練習をしました。それは非常にハードで、フランスで行っていた稽古とはまったく異なっていました。柔道の稽古時間ははるかに長く、よりハードでした。稽古をしないときは寝て過ごしました。畳の上では、私はヨーロッパではあまり投げられたことはありませんでしたが、この合宿中に私は相手を数回しか投げることができなかったのに対し、私は何百回も投げられたのを覚えています。毎日サバイバルモードだったけど、特別な経験でした!」フランスで柔道のトップ選手の1人であることに加えて、ミシェルはチームメイトとはまったく違い、他の人がスパイ小説を読んでいるときにアンドレ・ルロワ=グーラン(フランスの先史学者・社会文化人類学者)やクロード・レヴィ・ストロース(フランスの社会人類学者、民族学者)を読んでいました。当時、彼はすでに大学でのキャリアに目を向けていましたが、その後も何年にもわたって試合を続け、1969年から1981年まで代表チームに50回選出され、その間に1974年に2度の国際警察軍隊大会チャンピオンになり、国際大会で優勝し、1979年のパリ国際(現在のパリ・グランドスラム)で銅メダルを獲得しました。しかし、彼はヒザのケガを繰り返したため、潜在能力を十分に発揮できず、競技生活に終止符を打ちました。 彼はそれについて苦々しく思っていません。「試合でさらに勝ち進めなかったことを後悔したことはありません。ボルドー大学に入学したときは、競技をするか学問をするか迷っていましたが、数年後、ヒザのケガで競技を続けるか、大学で学者として活動するかの選択を迫られたとき、選択は難しくなく、私は後者を選びました。憧れのスポーツ史と体育の専門家に師事し、その後、著名な歴史家に師事。私はこの道をたどり、柔道を勉強と研究の対象としてキャリアを築くことができ、恵まれていました。生活のために柔道に頼らなくてもよかったのですが、やはり柔道の世界にいました。柔道界の多くの人々は、柔道機関に依存しています。私にはそのような階層的従属がなかったので、思想の自由がありました」柔道コーチ強化選手として過ごした後、ミシェル・ブルースは自然と柔道のコーチングに引き込まれました。1980年から1984年の間、彼はフランス柔道連盟のコーチを務め、パリ南西部の郊外にある高校生向けで、ジュニアおよびシニア柔道チームの多くの有名な選手を輩出した柔道センターを担当しました。ミシェル・ブルースはまた、国際柔道連盟、欧州柔道連合、オリンピック・ソリダリティーから定期的に招待され、柔道強化のためにナショナルチームに教えるよう依頼されており、米国、カナダ、韓国、アイスランド、デンマーク、ベネズエラ、イギリス、スペイン、ポルトガル、ブラジルなどで指導者養成コースの講師も務めていました。「これらのミッションに選ばれ、柔道が認められ、十分に発展している国に行くことができてうれしく思いました」柔道のコーチングに数多く関わってきたにもかかわらず、ミシェル・ブルースの最ミシェル・ブルース(フランス)柔道人THE柔道を愛する仲間たちフランス柔道史研究者第19回 柔道におけるミシェル・ブルースの海外での評価は、大学教授として、スポーツと柔道の研究者として、数多くの書籍や記事の著者として、そして、柔道七段の実践者およびコーチとして、母国フランスでの評価をはるかに超えています。柔道界に貢献することはまだたくさんあるミシェル・ブルースの豊かな人生のさまざまなエピソードを発見しましょう。(文=ピエール・フラマン/広報委員)PROFILEミシェル・ブルース1952年、フランストゥールーズ出身 柔道七段フランスナショナルチームの元メンバー。ヨーロッパチャンピオン、国際警察軍隊大会チャンピオンを数回獲得。身体活動とスポーツ活動の科学と技術の博士、ボルドー大学のスポーツ科学部の元教授であり、スポーツと体育史と柔道の歴史の専門家写真は、2016年11月3日、旭日小綬章を受賞した際の一枚22まいんど vol.35

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