まいんど vol.33 全日本柔道連盟
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【全柔連×SDGs スペシャル対談】山口絵理子×谷本歩実バングラデシュでの山口さん。現地のデザイナーと試行錯誤を積み重ねる。職人の技術の高さは折り紙付きと言われて。初めてそのときに、自分に話しかけたんです。で、「私は柔道が好きなの?」って、まず最初に自分の心に聞いて。山口 それはいつの話ですか。谷本 大学1年生です。初めて愛知の田舎から出てきて、で、ナショナルチームの先輩方を見て、心が折れそうになっていたときに、古賀先生に、まず「柔道は心」だと教えてもらって。で、自問自答。私は柔道が好きなのって。「うん、好きだよ」という自分がいて、そうなんだって。山口 よかった! それで、それで?谷本 それをひたすら続けるわけですよ。あるとき、つらくてやめたくなったときも、「やめたいの?」って自分に聞くとやっぱり返ってくるんですね。でも、それをまた受け入れなきゃいけない。一時もう柔道をやめようと思ったんですね、大学1年生のとき。自分のなかで覚悟も決めて。それで、やめることを両親に電話で伝えたら、「今日学費振り込んだばかりだから、学費の分だけは頑張って」って言われて、そうか、それじゃっていうのでつながったんです。山口 へぇ~、すごいね。柔道もビジネスもいろんな形があっていい谷本 唐突ですけど、山口さんにとって、柔道って何でした?山口 なんですか、その大きい話(笑)、どういう意味ですか、柔道って何かって。谷本 私にとって柔道って、自分を表現する場だというふうに思っていたんです。山口 それは、試合から伝わります、ビシビシと。谷本 唯一自分を表現できる場、柔道スタイルとか、自分の思いとか、「一本」を取りにいくこととか、相手に対してとか。それが私にとっての柔道だったんですよ。山口 すごい、やっぱり違うな、私には全然そんな考えはなかった。もう相手に勝てればいいって、スタイルはグチャグチャだったし。それじゃいけないんだね。やっぱり試合内容からも素養がにじみ出てますもんね、谷本さんは。谷本 いやいや。そんなことないです。山口 私はもう、どんなコスい手を使っても勝てばいいやってぐらいに思っていましたから(笑)。判定勝ちも多かったし。谷本さんが、これが自分のスタイルだと思えたのは…?谷本 大学1年生ですね。柔道って武道じゃないですか、私、教育的な柔道をずっと教えられてきているわけですよ。山口 教育的な柔道?谷本 はい、教育的な柔道。なので、相手に持たせて、それから自分が持つ。相手が右組みできたら、私も右組み。左組みできたら、左で組むという。古賀稔彦先生に「お前はバカか」って言われたんですけど(笑)。山口 どうしてそんなことしていたの? 相手が右組みできたら右を?谷本 相手がやり易いように……。山口 えっー!?谷本 そうするのが柔道だと思っていたんですよ。それが大学1年生のときです。でも、オリンピックで勝つとなるとやっぱり柔道ってスポーツなんですよ。私は武道の柔道をしてきたからスポーツの柔道というものに抵抗があって、そこに葛藤があったわけです。山口 楽しいから柔道をやっていたところから、勝つための柔道というのは、ジャンルが本当に変わるんですね。谷本 変わりましたね、自分のなかで。でも融合できないかということをずっと模索して。2004年のアテネ・オリンピックで、オール一本で優勝したときに、初めて、「あっ、私の柔道ができた」と。山口 決勝戦で相手と向かい合ったときは、何を思っていましたか?谷本 もう、自然体です。そこに勝つとか負けるというのは、自分にはないんです。相手はライバルではなく仲間。自分を高めてくれる存在なので。山口 仲間!?谷本 だから、組み合ったら笑っている自分もいるんですよ。そこに。山口 すごーい、その境地(笑)。ちなみに、そういうスタイルはいまの人たちも受け継いでいるものなんですか?谷本 私、北京オリンピックで優勝して、そのあとフランスに留学に行ったんですね。そのときに世界中の柔道を見て回って思ったのが、柔道って、いろんな形があっていいんだと。そこに気付いたんです。「オレ、今日、練習してないのに優勝したぜ」ってうれしそうに自慢していたり、絞め技でも、手順に従って、それを一つひとつ飛ばさずやまぐち・えりこ1981年8月21日生まれ。埼玉県さいたま市出身。大宮工業高校→慶應義塾大学、バングラデシュBRAC大学院小学生のときにいじめにあい、中学から「その子たちを投げ飛ばしたい」と柔道を始める。全国中学校大会ベスト16の悔しさから、もっと強くなりたいと、女子部のなかった大宮工業高校に入学し、柔道部に入部。高校時代に全日本ジュニア選手権で7位入賞するも柔道は高校で卒業し、慶應義塾大学では学問に専念。大学時代に興味を抱いた途上国(バングラデシュ)に、自ら身を置き、現地で製品の制作をスタート。「途上国から世界に通用するブランドをつくる」の理念で株式会社マザーハウスを設立。現在、バングラデシュ、ネパール、インドネシア、スリランカ、インド、ミャンマーの工場・工房でさまざまな製品を作り、日本をはじめ、4つの先進国で販売している。山口絵理子7まいんど vol.33

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