まいんど vol.33 全日本柔道連盟
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教育普及・MIND委員会視覚障がい者柔道・聴覚障がい者柔道連携部会 5月28~29日にカザフスタン共和国のヌルスルタンで、IBSA(国際視覚障害者スポーツ連盟)JUDOグランプリが開催されました。以下、選手団を派遣したNPO法人日本視覚障害者柔道連盟の樋口毅史強化委員長からの報告です。*** IBSAではパリ・パラリンピックに向けてクラス分け(視力によりカテゴリーが区分される、後述)と体重区分を変更しました。この変更に伴い、どの国の選手も初対戦となる場面が多く見られました。日本からは男子J2クラス73㎏級に瀬戸勇次郎、女子J2クラス57㎏級に工藤博子、70㎏級に小川和紗がエントリーしました。 昨夏行われた東京パラリンピックでは66㎏に出場し銅メダルであった瀬戸は階級をJ2の73㎏級に上げても持ち味であるスピードは変わらず、1回戦から危なげなく勝ち上がり、決勝戦でも地元カザフスタン選手から背負投で「技あり」を取ると優位に試合を進め一本勝ち、国際大会で初の金メダルを獲得しました。 女子J2の57㎏級の工藤は、1回戦を危なげなく突破したものの、2回戦はGSに突入、相手のブラジル選手が仕掛けてきた大外刈に耐え切れず一本負けしてしまいました。しかしながら敗者復活戦ではウズベキスタン選手を完全にコントロールして圧倒、合技で一本勝ち、銅メダルを獲得しました。 女子J2の70㎏級には小川がエントリーしました。ヌルスルタン入りした海外選手が、クラス分けで失格となったようで、試合をすることはできませんでしたが、優勝となりました。パリ・パラリンピックに向けて大きく変更されたクラス分けですが、各国とも従前活躍していた選手が適応外となり、出場資格を得られないことが少なからず生じています。詳述は避けますが、第一にJ1は全盲、J2は弱視と2クラスに分割されたこと、これは『全盲選手が活躍する場の確保』を目的にした変更ですが、変更前のB3(弱視)クラスでは矯正後視力0・1まででしたが、変更後J2クラスでは0・05まで引き下げられました。さらに客観的な視力検査項目も追加されました。 第二には男子7階級、女子6階級であった体重区分が男女とも4階級ずつ(男子:60㎏、73㎏、90㎏、+90㎏、女子:48㎏、57㎏、70㎏、+70㎏)に変更になったことで混乱しているものと考えられます。視力規程と体重区分の変更が同時に変わったわけですから当然と言えます。今大会ではJ1クラス選手の参加が多くなり、J2クラス選手は少ない印象でした。柔道のスタイル、試合の組み立ても2つのクラスで変わってくることは明白。日本チームも少なからず対応に追われていますが、このような変化に柔軟に対応しながらも、柔道に取り組む姿勢自体は変えることなく、前に向けて強化を進めて行きたいと思います。【強化委員長:樋口毅史】*** また、5月1日~15日には、ブラジルのカシアス・ド・スルで第24回デフリンピック夏季大会が開催されました。柔道競技は、IJF試合審判規定がそのまま適用され、個人戦は体重区分も同じでしたが、団体戦は男女別の3人制で行われました。審判のゼスチャーでは、「始め」のときには、両手を前に出して合わせるような動作で知らせ、「待て」「それまで」の際には選手の肩を2回叩くことで知らせる等の工夫がなされていました。柔道競技には、男子66㎏級に佐藤正樹(ケイアイスター不動産)、男子73㎏級に蒲生和麻(JR東日本)が出場しました。2人は、昨年10月にフランスのベルサイユで開催された第1回デフ柔道世界選手権大会で銀メダルを獲得しており、金メダルが期待されていました。しかしながら、結果は2人ともに第5位でした。 佐藤選手は第1シード、2回戦の相手は、長身のブラジル選手。背負投を軸に積極的に攻めましたが、懐が深くなかなかポイントに結びつきませんでした。しかし、GS延長戦に入り、相互に攻め合い、もつれ込んだところで、小内刈で「技あり」を奪い勝利を決めました。準決勝となる3回戦では、体格に勝るイラン選手の内股をまともに受けて「技あり」を奪われました。腹部からの着地であったので、映像確認で取り消されるかと思いましたが、組み負けて勢いがあったので、致し方ないところ。反撃を試みましたが、時間となり敗退。3位決定戦では、変則的な組み方をしてくるウクライナの選手に苦戦しながらも「指導2」まで追い込みましたが、組み手を嫌っているところに逆の一本背負投に入られ、「技あり」を奪われて敗退、第5位となりました。立ち姿勢での関節技を何度となく施す相手に、審判が最後の「指導」(「反則負け」)を適切に与えることができていませんでした。今回の審判団は、審判長以外にIJFライセンス保持者はおらず、ブラジル国内の審判員で構成されていました。デフリンピックは、聴覚障害者柔道最高の大会として位置づけられているだけに、改善が望まれます。 蒲生選手は第2シード、2回戦の相手は、力強いキルギスタンの選手。組み勝って、左の出足払から横四方固に抑え込んで合技で一本勝ち。しかし、やや強引に左足で相手の右足を外から払ったために、痛めていたヒザのケガを悪化させることとなりました。準決勝では、序盤、低い姿勢の相手に対して、痛めた足をかばいながらも、組み勝って優位に進めていました。しかし、一瞬組み手が変わったところで、相手が倒れ込みながら低い右体落に入ってきたのを耐えきれずに「技あり」を奪われました。残り時間は十分にあったので、落ち着いて攻めれば挽回できる展開でしたが、焦りから組み手や攻めが単調になっていたように思います。その後、組み手不十分のままに、足を出すだけの大外刈をかけたところを深く戻され「一本」となりました。左ヒザの状態は思わしくなく、3位決定戦を棄権することも考えましたが、相手はベルサイユの決勝で負けているウクライナの選手で、どうしてもリベンジしてメダルを獲得したいという気持ちが痛みを上回っており、しっかりと固定して戦うことにしました。試合は、積極的に前に出てくる相手の圧力に耐えていたものの、中盤でもつれて寝技の展開になり、動けなくなったので、棄権を申し出ようとしましたが、本人が気力で続行を選択。しかしながら踏ん張りが利かず、押し込まれて小外掛で「技あり」を奪われて敗退、第5位となりました。 硬くなっていた初戦。序盤で相手の技を不用意に受けてしまった準決勝、3位決勝戦、両試合ともに同じ展開での敗戦でした。体格や体力でまさる外国人選手に対しては、組み手にこだわって、体さばきを利用して、相手の攻めを受け流しながら、我慢して自分の技に繋げる柔道を徹底しなければならないということを改めて感じました。 第25回デフリンピックは3年後に東京で行われる予定。私たちスタッフは、選手たちがそれぞれの課題を克服して表彰台に上がることができるように、一所懸命にサポートしていきたいと思います。【強化委員長:小志田憲一】44まいんど vol.33

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