まいんど vol.31 全日本柔道連盟
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▲手術室看護師としてさらなる成長を目指す高見さん▲ブラジリアン柔術では世界大会準優勝。黒帯も取得▲九州大学時代は、七大学戦でも活躍――柔道を始めたきっかけは?「兄が柔道を始めるときに、私もやりたいとついていきました。身体が小さかったので試合ではほとんど勝った記憶がないですが、練習は楽しかったです。中学生になると階級分けが細かくなり、勝てるようになり自信もついてきました。中学2年のとき、県大会の決勝で負けたのがすごく悔しくて、とにかく試合で勝ちたい、結果を残したいという気持ちで練習に打ち込みました。翌年の全国大会に、県大会の決勝を争った同級生と一緒に行けたのが、すごく思い出に残っています」――その頃から看護師を目指していた?「最初は医学部志望だったんですが、なかなか成績が伸びなくて……、家族と話をするなかで、医療系なら看護師という道もある、資格を取れば、他の道に行ってもまた戻ってこられると思い、看護師を目指すことにしました。柔道は高校2年のインターハイ予選までで一区切りとして、そこから勉強に打ち込みました」――大学でも再び柔道を?「最初柔道はもういいかなと思っていて、バスケットボールのサークルに1か月くらいいました。でも、やはり物足りなくて、柔道部の見学に行ったら、結局そのまま入部することになりました。当時の師範は、寝技の大家として知られる奥田義郎先生。とても理論的で、なぜ技が決まるのか脳で理解したうえで、徹底した反復練習で体につなげなさい、という指導でした。反復練習はつらかったのですが、強くなるためには、一つのことを突き詰めていく、極めていく姿勢が必要なんだと気づかされました。この頃から競技結果だけを追うのではなく、どうすれば強くなれるのかを自分で考える、その『過程』が大事なんだな、と思うようになりました。当時、九州大学は男女別々に練習していて、女子はよく修猷館高校にお世話になっていました。最上級生になる頃には、男女一緒に練習を行うようになり、部としての結束力も生まれたし、『男子と同じ練習量をこなしていけるんだ』と自信もつきました。大学で寝技を鍛え、修猷館高校への出稽古で立ち技を磨く。いい環境だったと思います」――卒業後は、看護師の道に。「福岡の病院で、手術室看護師になりました。患者さんが安心して安全な手術を受けられるように、看護の知識、手術に関する専門的な知識を生かして準備や介助を行う仕事です。担当する手術も幅広く、学校では習っていないことばかりだったので、日々勉強でした。5年間続けた後、病棟看護師を1年やって、一度カナダに語学留学しました。2年前から、いまの病院で再び手術室看護師をやっています。予定に入っている手術を進めるのに加え、緊急の手術も入ってくる。忙しいときは大変ですが、医師や同僚の看護師とコミュニケーションをとりながら進める仕事に、とてもやりがいを感じています」――柔道で学んだことで役立ったのは?「一番役に立ったのは『礼節』ですね。とくに、他人に対してどう接するかという、心の部分が大きかったです。チームワークが大切な仕事ですし、何より必ず患者さんと向き合うことになります。柔道も組んでくれる相手がいないとできません。練習や試合を通じて、相手に対して自然に敬意や感謝の気持ちを抱くようになっていたので、その点、看護にも生きていると思います。状況によって患者さんと話すのにうまく言葉が出ないという人もいます。自分の気持ちを、パッと言葉にして出すことができるのは、柔道のおかげだと思います」――社会人になってからはブラジリアン柔術も。「柔道しないと運動不足になると思って始めました。一番の違いは良い意味での『ゆるさ』でしたね。柔道は部活として取り組んでいたので、練習はやらなくてはいけないものでしたが、柔術はやりたければやる、やりたくなければやらなくてもいい。とても気楽にやれました。試合には1年に1~2試合、そのときの気分で出ていたんですが、やっぱり自分の力を試したくなって国際大会にも参加させてもらいました。留学していたときも現地のジムに通いました。帰国する際には、「帰らなくていいじゃん。麻衣子との練習、楽しかったよ」と言ってもらい、ウルっときました。寝技が語学力を補ってくれたおかげで、道場では十分にコミュニケーションできました。柔道もできる範囲で続けています。2年前、地元の日田市チームで県民大会に出場しました。やはり柔道衣を着て黒帯を締めると、スイッチが入るんです。落ち込んでいても道衣を着ると、気持ちが切り替わります。私だけかもしれませんが」――次世代のみなさんへエールをお願いします。「柔道はきついのではじめは躊躇するかもしれないけど、そこを乗り越えるとすごく自分に自信がつきます。そして柔道で培った人間性や人との出会いは、その後の人生に役立ちます。大学の恩師・奥田先生からは『柔道衣を脱いでからが本当の柔道』とよく言われていました。この言葉の解釈は人によってそれぞれだと思いますが、私は「柔道で培った精神を生かして、今後もいろいろなことを学んで成長し続けるとともに、社会に貢献していく」という意味に受け取りました。私もこれからも挑戦する気持ちを忘れず、やり抜いていこうと思います」恩師の言葉『柔道衣を脱いでからが本当の柔道』高見麻衣子(旧姓黒木)たかみ・まいこ1989年生まれ。大分県出身。小学3年生のとき、日田市少年柔道クラブで柔道を始める。日田東部中学3年時の全国中学校柔道大会女子44㎏級ベスト16。大分東明高校を経て、九州大学医学部保健学科へ。大学では全日本学生優勝大会女子3人制の部に3年連続出場。大学2年生時の七大学戦で団体優勝。卒業後は、看護師として病院勤務の傍ら、ブラジリアン柔術でも活躍。2018年世界柔術選手権茶帯ルースター級2位、その後柔術でも黒帯を取得。現在は大分県の国家公務員共済組合連合会新別府病院に勤める。PROFILEやわらたちのセカンドキャリア〜私たちの選択〜患者さんに安心して安全に手術に臨んでもらいたい。小学校時代に始めた柔道で培った体力と礼節を生かし、手術室看護師として活躍する高見麻衣子さんを紹介します。高見麻衣子さんが選んだ道 手術室看護師FILE.1522まいんど vol.31

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