まいんど vol.30 全日本柔道連盟
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ろんですが、受身の技術をしっかりと学ぶことによって、自分の身体を守ることもできる。また、礼儀を学んだりだとか。相手と常に向き合うことで、相手の心をしっかりと理解したうえで取り組むこともできる。同時に、自分自身にも打ち克たなきゃいけないので、そういう自己実現に向けてたくましく成長できる部分もあるので、本当に一人でも多くの子どもたちが柔道を学びながら、「僕は柔道をやっているんだ」と胸を張り、「柔道からこんなことを学んだよ」と言ってもらえるようなものがつくれるといいな、と強く思いますけどね。 伊藤さんが思う柔道の魅力、柔道の価値、柔道のイメージというのは、どのようなものですか?伊藤 やはり「ザ・日本」というイメージなんですよね。私の年齢のせいかもしれないですけど、柔道というと、日本の国技のようなイメージが強いです。あとは競技者として、柔道の仲間と一緒に戦ったときは、金メダルを獲らなきゃいけない、メダルを獲らなきゃいけないという……もちろん競泳もそうなんですけど、そういうプレッシャーのある競技だと思いました。それと、やはり礼儀が一番学べるところだと思っています。あと、柔道の方たちはみんな明るいなと(笑)。井上 なるほど。そういうのはドンドン発信してくださいね(笑)。柔道選手はしゃべらないとか、寡黙そうだと思われがちなんですけど、意外と気さくだったり、意外としゃべったり、意外と明るかったりするんですよね。伊藤 すごくおもしろいです、みなさん。井上 そうなんです。柔道家は意外におもしろいんですよ(笑)。私たちが、柔道の大きな理念として持っているのは、柔道を通じての人間教育、いわゆる人材育成というものであり、あとはやはり柔道で培ったものをいかに社会に還元していくか、これが究極に求めていくものだと思うんです。これは柔道を創設された嘉納治五郎先生が強く説いていらっしゃる言葉でもあるので、そのことを肝に銘じたうえで、それぞれの立場でどのような活動をするのか、どういう思いで柔道に取り組んでいくのかを考える必要があると強く感じるんですね。そういうものを、柔道関係者にはもちろん、一般の方にも「柔道はこういう方向に進んでいるんだ」と示していきたい。現在も、またこれまでの過程においても、柔道界はそういう取り組みを行ってきているわけですが、これから先においては、現代版としてみなさんに示していきたい。そのために新しくこのブランディング戦略委員会が立ち上がり、伊藤さんを指名させていただいたわけですが、引き受けられていかがですか?伊藤 なんか急に「柔道・柔道」になりました、脳みそが(笑)。柔道はどこでどういう試合をやっているんだろうとか。育成はどうなっているんだろうとか、すごく興味がわいてきましたし、いろんな人が気軽にできて、楽しさをわかってもらえるような機会があるといいなと思いますけど……。井上 そうですね、本当におっしゃるとおりで、だからこそ柔道界は指針や指標というものを定めていく必要がある。ビジョンだとかミッションだとか、柔道のバリューといった柱を、しっかり作っていくことがとても大事だと思います。柔道はこういう方向に行くんだというところを示し、そのなかで、それぞれの立場のもとで、それに向かってみんなで力を合わせてやっていきましょう、というものが作れると非常にいい形が生まれてくると思うんです。どこでも誰でも柔道が学べたり、やれたりする環境。もちろん安全面で非常に気をつけないといけない、クリアしなければいけないことがありますから、そこにもしっかりと向き合いながら、クリアしていく。安全面・安心面を強固にする環境づくりはまず必要になってきますよね。 対人競技で、世界中の筋骨隆々の本当に実力を持った海外の選手たちと組み合って、そして勝つという強さ。これは日本人としての誇りだと思いますし、アイデンティティの構築にも繋がる魅力だと思うんです。逆に強いからこそいろんなことに気を使ったり、いろんなことに向き合い対応していく、ときには弱き者を助けたりする。そういう半面も生み出していけると思うんですね。これから先においても、いま柔道界が持っている現状というものをしっかりとわれわれが把握しなくちゃいけないと思うんです。伊藤 そうですね。井上 理想はこう思っている、でも現状としてはどんな考えを持ち、どんな取り組みをしているのか、それをちゃんと見たうえでそのギャップを埋めていく作業が非常に大事になってくる。ですから、この委員会のなかでその柱を作りながら、柔道界のビジョン、ミッション、柔道のバリューといった柱をしっかり作っていくことが大事(井上)PROFILE 井上康生(いのうえ こうせい)1978年5月15日生まれ。宮崎県宮崎市出身。5歳から柔道を始める。小学5年生で全国少年柔道優勝、以降、全国中学校大会、インターハイ、全日本学生体重別選手権と、カテゴリーごとに優勝を果たす。1999年バーミンガム世界選手権で優勝し、2000年にはシドニーオリンピックで金メダル。翌2001年ミュンヘン世界選手権で連覇、さらに03年大阪世界選手権で3連覇を達成。2008年5月に現役を引退。同年12月から2年間、柔道指導法や海外の柔道事情を学ぶためスコットランドに留学。2011年に帰国し、全日本コーチとしてロンドン・オリンピックに帯同。不振に終わったロンドン・オリンピック後に、日本再建を託される形で男子監督に就任。2016年リオデジャネイロ・オリンピック、2020東京オリンピック(2021年まで)の2大会の監督を務めた。東京オリンピック後に監督を退き、9月にブランディング戦略推進特別委員会委員長(チーフストラテジーオフィサー)、強化委員会副委員長に就任6まいんど vol.30

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