まいんど vol.30 全日本柔道連盟
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▲長崎県諫早市の施設「こどもの城」で柔道あそび体験イベントを企画▲天理大4年時のヨーロッパ遠征▲2014年長崎国体2位。コーチとして参加(後列右)。現在、全日本強化選手の新添左季選手も教え子の1人――柔道を始められたきっかけは?「小学2年生のとき、対馬市厳原警察署内の道場で警察官だった父親から教わるようになりました。最初は父と兄妹だけで練習していましたが、次第に地域の子どもが増え、健心会道場という道場になりました。その後、父の転勤で再び長崎に戻るタイミングで多良見少年柔道教室に移りました。練習は週2~3回だったのですが、家では毎日朝トレがあり、食事の後、何気ない会話からそのまま技の研究や、組み手のパターン練習が始まったりしていました。とにかく父が熱心で練習はたくさんしましたね。その頃から競技としての柔道にのめり込んでいきました」――中学校で全国大会に出場。高校は天理高校に進学しました。「中学に入学してすぐに、父の提案で友だちをたくさん柔道部に誘いました。コミュニケーション能力は高いほうだったので、女の子だけで7人入部してくれました。そのうち2人が最後まで続けてくれて、3年生のとき、一緒に全国中学校柔道大会に団体戦で出場しました。このときは本当に感動しました。進学は父が天理高校、天理大学の卒業で、自然に天理に行くことになりました。天理には強い先輩、同級生が多くて、毎日の稽古を乗り越えるだけで必死でしたね」――大学以降は全国大会で活躍。「大学1年のとき、近畿ジュニア体重別で優勝して、講道館杯に出場できたのが転機でした。『この日本一に挑む場に、毎年出たい』と思い、それから自分と真剣に向き合うようになりました。減量が厳しかったのですが、自分の柔道を一番出せる階級ということで大学3年以降は、48㎏級に絞りました。学生体重別や講道館杯で福見友子さんや、山岸絵美さんといったトップ選手と対戦しました。表彰台に上る人と自分は何が違うのか、よく考えましたね。それでも日本一を目指し続けたくて、卒業後も2年間と決めて現役を続けました。与えられた環境のなかでベストを尽くしたので、悔いはないです。」――その後は母校・天理高校で監督になりました。「2009年に奈良県であるインターハイのため、女性の指導者をと声をかけてもらい、高校の事務職員をやりつつ柔道部女子監督になりました。8年間、毎日新しい何かが起こり、毎日が感動溢れる日々でした。また天理での柔道を通して「競技以外の柔道の価値」にも触れることができました。海外選手がたくさん練習に来るので、その交流から学んだことも多かったです。イタリア、ラオスナショナルチーム、フランスのパラリンピックチームなど、いまも交流があります。フランスの選手から『視覚障がい者柔道の選手にとっては、手が目の代わり。しっかり両手で組み、手首の動きに長けている天理柔道は我々に一番合っている』と言われたことが印象に残っています」――長崎に帰ることにした理由は?「2014年に長崎県で国体が開かれ、奈良県少年女子のコーチとして参加しました。その際、事前の合宿などで長崎に戻る機会が増え、先生方の温かさに触れると同時に、改めて故郷への思いが強くなりました。考えてみると、15歳で長崎を離れたので、地元のことをほとんど知らなかったんですね。自分の柔道の原点となった地で、いつか恩返ししたいと思うようになりました。その後、2015年に開催された奈良インターハイのために強化してきた生徒たちの卒業を見送り、自分も2016年8月に天理高校の監督を辞め、地元に帰ってきました。当時の生徒たちには申し訳ない気持ちもありましたが、どこかで区切りをつけなければいけない。『終わる根拠』や『タイミング』は、自分自身にしか理解できない、わからないものがあります。私の望む形を最優先させてもらえたことに感謝しています」――現在、長崎ではどんな活動を?「父と同じ地方公務員の職に就き、諫早市の職員として、教育委員会学校教育課で就学援助医療費支給担当、そのほかALT(外国語指導助手)の方のお世話などをしています。仕事を通して、自分の担当する事業が市民のみなさまの生活に繋がっていることを日々実感しています。ともに助け合い支え合える社会を目指して、自分にできることを精一杯やる。嘉納治五郎先生の目指した『精力善用自他共栄』の精神にかなっているかなと思います。 休日には諫早市女性消防団員としての広報活動や、地域のボランティア活動に参加しています。市民の方々との交流を大切にしていくことで政策への改善案が生まれてくることもあると思うので、とにかく何事にも全力です。これは柔道で培ったものだと思います。 一方、柔道では審判をしたり、出身道場の練習に参加するとともに、地域の柔道の『お助けマン』として、指導者が少ない道場へお手伝いに出向いています。私らしい柔道への恩返しの方法を模索しています」――次世代のみなさんへエールをお願いします。「長崎から天理、そして再び長崎と、柔道を通じて出会った仲間に支えられて、その一つひとつの出会いが今の自分を作ってくれています。職場にも柔道経験者はたくさんいて、直接一緒に練習したことはなくても、柔道の後輩として温かく受け入れてくれました。柔道のつながりで、どこに行っても安心できる居場所ができるのはありがたいです。いま、柔道に励んでいるみなさんも、自分が柔道を頑張ってきたことを胸を張って伝えてほしいと思います。高校まででもいい、中学だけでもいいです。柔道を通じたご縁は、あなたの人生をきっと豊かにしてくれます」嶋田美和しまだ・みわ1984年生まれ。長崎県出身。7歳のとき、父親の指導のもと健心会道場で柔道を始める。多良見少年柔道教室を経て、喜々津中学では2年連続全国大会出場。天理高校から天理大学に進み、48kg級で、講道館杯全日本体重別選手権ベスト8。卒業後は平成管財で選手を続け全日本実業個人選手権48kg級3位、その後天理高校柔道部女子監督に。現在は長崎県諫早市職員として教育委員会学校教育課に務める。PROFILEやわらたちのセカンドキャリア〜私たちの選択〜15歳で旅立った故郷・長崎に5年前にUターンを決意。地方公務員として活躍するとともに、幅広い柔道経験を生かして地域の柔道を支える嶋田美和さんを紹介します。嶋田美和さんが選んだ道 地方公務員FILE.14自分にできることを精一杯やる。何事にも全力です。18まいんど vol.30

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