まいんど vol.28 | 全日本柔道連盟
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直前特集東京2020パラリンピックに挑む日本代表!8/29(日)小川和紗OGAWA Kazusa廣瀬悠HIROSE Haruka1997年2月16日生(24歳)千葉県出身株式会社オー・エル・エムクラス:B21979年7月17日生(41歳)愛媛県出身SMBC日興証券株式会社クラス:B32008年北京パラリンピック5位(100kg級)2016年リオデジャネイロパラリンピック9位女子70kg級男子90kg級―コンディションはいかがですか?「小さなケガはありますが、練習もできていて、コンディションは良いです」―いま、練習はどちらで?「東京女子体育大学と順天堂大学に受け入れていただいて、練習しています。コロナの影響で、畳の上で練習できない時期もありましたが、仲元歩美コーチが練習させていただける道場を探してくれ、そちらでやっていました。道場を貸してくださった方や仲元コーチにはとても感謝しています」―道場での練習ができない時期にはどんな練習を?「実家の電柱にチューブを結び付けて、トレーニングをしたり、地味な練習を続けてきました。でも、その練習のおかげで、手首がうまく使えるようになり、ケガが減ったように思います」―柔道を始めたきっかけは?「小学4年から6年までは走り幅跳びをやっていたのですが、踏み切り板が見えなくてファールになることが多くて、見かねた両親が中学に入るときに、勧めてくれたのが柔道でした」―実際にやってみていかがでした?「すぐに柔道の魅力にはまりました。ただ、視力が0.06しかなく、組み手は難しかったです。高校2年から盲学校に行くようになり柔道をできる環境がなく、遠ざかっていました。ブラインドスポーツをいくつかやってみましたが、柔道ほど楽しいものがなく、母が調べてくれて、卒業式の次の日から視覚障害者の強化合宿に行かせてもらうことになったんです。また、柔道ができるようになり本当に幸せでした。それからは、学校に通いながら、週に1度、地元の道場で練習しました」―小川選手の柔道の特長は?「私は70㎏級では一番小さいので、それが長所だと思っています。試合では相手の懐に潜って背負投や体落で『一本』をとるところを見てほしい。出るからには金メダルを獲りたいと思います。私の夢は、東京とパリで金メダルを獲り、それで引退すること。それに向けて頑張りたいと思います」(取材/6月2日)―コロナの影響で練習環境は変わりましたか?「以前は、松山東雲大学の女子柔道部で妻の順子と一緒に練習させていただいていましたが、コロナの影響でできなくなり、いまは松山工業高校でやらせていただいています。マスク着用で練習していると、息苦しくて、最初の頃はすごくきつかったのですが、慣れてきたら、心肺機能が高くなっている気がしますし、120kg近い高校生とも乱取りしていて、正直、強くなっている自信もあります。緊急事態宣言で3~4か月稽古できない時期もありましたが、その頃からウエイトトレーニングをしっかりやっていたら、ベンチプレスもデッドリフトもスクワットも1.5倍くらい上がるようになって。人間って鍛えたらなんとかなるもんだなぁと、改めて感じています。以前は、妻のコーチということもあり、女子大生と練習をする環境がちょうどいいと思っていたのですが、いまの環境は自分にとって非常にいい練習になっていると感じています。不安なのは、試合勘。2年くらい試合から遠ざかっているので、そこに関して不安はありますが、これから合宿で試合形式の練習をして、本番に臨みたいと思っています」――3度目のパラリンピックですが、どんな試合をしたいですか?「今年で42歳なので、年齢的にはキツいですし、東京大会でなければ引退していたと思います。そういう意味では、今大会は自分の集大成だと思っています。メダルを獲るとは言えませんが、いままで応援してくれた人たちのためにも、自分の力は出し切りたいという気持ちです」――廣瀬さんにとって柔道とは。「小学2年生のときに始め、中学・高校と厳しい環境のなかでやってきて、柔道がつらい、イヤなものという時期もありましたが、趣味から仕事になり、いまはなくてはならないものであり、生活の一部、人生の一部と言えるかもしれません。柔道を愛する人たちと一緒に頑張っていきたいと思います」(取材/5月28日)19まいんど vol.28

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