November 15, 2019

UAE柔道と共に30年(09.4.20)

UAE柔道と共に30年

国際委員会在外委員 米田 豊明

 

 

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はじめに

UAEに足を踏み入れて、今年でもう30年、現在、在UAE日系企業に勤めながら、その間、曲がりなりにもずっと一途に、柔道普及活動をしてきた。

1973年海外で柔道指導をとの思いで、ウィーンで3年間指導、その後イラン柔道連盟コーチとしてイランに滞在。78年11月に東京で第一回嘉納杯国際柔道大会が開催され、イランチームの監督として参加。試合終了後、東京からテヘラン・メヘラバード空港に到着予定だったが、イランの政情が不穏で、そのままトルコのイスタンブールにオーバーフライトした。パンナムのジャンボ機に乗客はほとんどいなかった。客室乗務員に尋ねると、これはイラン在住米国人救出用の特別機だと言う。内心不安が募ったが、試合結果報告任務のため再度、テヘランへ向かう。到着後、やはり、テヘラン市内の目抜き通りは革命デモで、外資系ホテルや銀行が焼き打ちとなり、100万人デモで大騒乱状態であった。試合結果を報告すべき連盟会長はアメリカへ亡命。

1)UAEに柔道普及活動を始める。

私自身も身の危険を感じ、歴史の荒波にもまれ、途方に暮れながら、知人のつてを頼り、79年にUAEに入国。

それから、また新天地で柔道普及活動を目指す。まず、UAEの柔道クラブの存在を調べたが、皆無であった。当時、世界的映画スター、ブルースリーのカンフー映画全盛の時代で「カンフー」、「KARATE」は誰でも知っており、空手クラブはすでに沢山あり、人気もあったが、柔道はその言葉すら全く知られていず、これからの普及活動の難しさを予感した。

柔道が不毛な砂漠の地に、どうやって柔道を普及させていくか。そこで、最初に、柔道採用の可能性がある警察にアプローチした。その時、ちょうどタイミングが良く、ドバイ警察で、最初に柔道と合気道のデモンストレーションを行う機会を得た。

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当時、伊藤忠ドバイ所長で、現在、日本合気道協会顧問で伊藤忠理事の木暮浩明氏がドバイ警察で合気道の演武をするというので、柔道も一緒に演武の便乗をお願いした。柔道演武の相手役は木暮氏だった。翌81年、第一回中東派遣日本伝統スポーツ団をUAEに迎え、ドバイ、アブダビで派遣選手団と共に演武を行った。82年、シャルジャー警察でデモンストレーション。この時は野外でマットを敷き、観客はシャルジャー警察幹部候補生で、柔道の試合形式を披露、演武者のお相手は柔道経験者で、当時、兼松江商ドバイ所長の赤井豪太氏にお願いした。現在はジェブラリフリーゾーンの日本市場担当役員でドバイ在住である。

このような、地道な活動がシェイクモハメッド現首相に認められ、ドバイトレードセンターの近くにあるモハメッド首相の私設武道館に於いて、柔道クラスを開設したのが、UAE柔道普及の幕開けだった。この私設武道館の壁には木刀や杖などが掛けられ、日本式神棚まで祭られているのが、驚きだった。

翌年、ドバイ警察機動隊に初めて柔道を指導。この中には、後に国際交流基金の支援で、1か月の指導者養成コースで筑波大学へ研修に送った者も含まれていた。そのうちの一人の生徒は現在、UAEレスリング・柔道連盟で活躍している。

84年第2回日本伝統スポーツ団を迎えた時は、ドバイのアル・アハリ体育館で開催され、柔道の演武では片倉邦雄前大使も児童生徒と大変楽しそうに、乱取をされ、場内を大いに沸かせて頂いた。派遣選手達は一流レベルの実力者揃いだったので、現地の人たちに与えたインパクトは強烈だった。国内の柔道普及活動を徐々に充実させながら、これからのUAEの国際競技大会参加を目指して、94年に広島アジア競技大会に参加した。そこで、初めてUAE柔道連盟が国際柔道連盟の加盟国となる。

その後、オマーンの日本週間で演武、フランスで指導講習など、国内外で普及活動しながら、2005年カイロの世界選手権、2006年カタールアジアオリンピックでUAEチームの監督として、国際大会に出場。その戦績は私の責任でもあるが、かなり、失望させられた。しかし、翌年アブダビで開催されたGCC大会ではUAEチームが大変、良い結果を残した。その結果、連盟の予算は一挙に増加した。北京オリンピックではUAEから初めて、柔道競技73kg級にサイード・クベイシが出場することができた。これも出場するだけに終わったが、これから期待の持てる選手なので、ロンドンオリンピックには是非、何らかの結果を残してほしいと思っている。

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UAEナショナルチームは毎年、講道館で1カ月間程、合宿し、講道館と各大学で強化を行っている。2009年11月にはアブダビで国際柔道グランプリ大会が開催される。日本選手をはじめ、世界の柔道選手が参加する。

一方、底辺の柔道人口を増やすために、現在、アブダビでは公立5校、アルアインで2校、柔道が課外活動として、採用され、実際に指導強化がされている。女子柔道については、私自身もかなり、驚いているが、比較的戒律が厳しいイスラム国UAEで、女子柔道が胎動するとは、考えてもいなかった。

しかし、現在、女子公立校2校が課外活動で柔道が採用された。先日、連盟の要請で、アブダビで女子のコーチ候補6名に、3日間の指導講習を実践した。彼女たちはヘジャーブで頭を覆いながらの練習だったが、実技指導には支障無く、全く違和感もなかった。その国の宗教、習慣等を尊重しながら、指導することは当然なことである。実際に行われている国内試合では、すでに複数の女子審判員を試験的に採用している。先日も連盟からアブダビシェイクのご令嬢が柔道を習いたいので、誰か相応しい女子コーチがいないかと問い合わせがあった。

UAEの柔道もまだまだ発展途上国であるが、ほんの少し、芽が出て、育ってきたかなと、肌で感じるようになってきた。

2)ドバイでの柔道指導

アブダビの活動は柔道連盟を軸として、活動している。ドバイでの指導は柔道が好きな人たちが集まって、練習に励む。どんな人でも柔道に興味がある人なら、気楽に参加できる自由なクラブを目指しているので、55歳で初めて柔道をする人、ナショナルチャンピオンレベル、ヘビー級レスリングチャンピオン、元サンボ選手等構成は様々、国籍もUAE、アラブ、ヨーロッパ、ロシア、アジア、日本と30カ国ぐらいを数える。もちろん職業も多士済々である。ラシッド病院医師、アメリカンホスピタル看護士、エミラーツ航空パイロット、飛行機整備士、コンピューター技師、ナキール社勤務、アエロビックインストラクター、空道コーチ、エアバステストパイロット等、ドバイの経済発展の最先端に関わっている人達でもある。

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しかも、皆、練習に大変熱心で、柔道が好きである。アメリカンホスピタルの看護士はアメリカ人だが、ドバイ赴任の条件は柔道クラブがあることというのが、重要な条件だったと語ってくれた。ちなみに、彼の年齢は42歳である。エミラーツ航空のスペイン人パイロットは11月に開催された、アブダビUAEオープン柔道大会の試合当日、ニューカッスルからドバイまでのフライト任務を終え、ドバイに着陸後、アブダビまで車で疾走、試合では73kg級に出場、3時間しか眠っていなかったが、見事優勝した。

国籍、人種、年齢、多種多様な人々と一緒に柔道ができるのは、世界でもここドバイだけかもしれない。日本で生まれた柔道を通して、国籍、言語、文化、イスラムのスンニー派、シーア派、キリスト教など、これまでに背負ってきた様々な違いを乗り越えて、一緒に練習し、汗を流し、投げたり、投げられたりする。そこから生まれる共通の爽快感を思うと、ある種の感動すら覚えることがある。

3)おわりに

真夏には、気温が45度以上にも上昇するUAE。それでも30年以上、この地で大過なく暮らしてこられたのは、UAEの人たちのコスモポリタンな考えと基本的に外国人にやさしい制度、親日のお陰であると、感謝している。それと、アラブのユックリズムが体質に合っていたのだろう。

柔道の活動では、普通の社会生活では接点の無い、およそ会える機会の無いような人でも柔道を通して可能になり、多くの友人生徒達と出会えたことがうれしい。今ではお互い、兄弟と呼び合っているようなUAE人の親友もいる。この柔道普及活動を通して、一人でも多くの親日UAE人を生み出す一助にでもなれば、これ程、嬉しいことは無い。

最後に、今日まで私の活動を支えてくれた家内をはじめ、友人、講道館、全柔連、大使館、領事館、国際交流基金の皆様及び、現在勤務しているAGSS社にこの紙面をお借りして、感謝の気持ちを捧げたいと存じます。